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【賢者は歴史に学ぶ】

晏嬰と景公

「孔子」というドラマを見ています。

なかなかアーティスティックな映像ではあるのですが、話自体はそれほど面白くはない。
でも個人的には大好きな景公と晏嬰のコンビが出てくるのが救いです。

春秋時代の斉の君主だった景公と宰相として支えた晏嬰。
「折衝」という言葉は正に晏嬰の外交手腕を「敵の衝いてくる矛先を折る」と孔子が評した事から生まれた言葉です。

中国の正史の第一である「史記」を著した司馬遷は第二の列伝として管仲と共にこの晏嬰を取り上げています。
その上「晏嬰の御者になりたい」とまで言い崇拝していました。
また三国志の諸葛亮が自らを管仲・楽毅に擬えていた事は有名ですが、彼がよく諳んじていた「梁父吟」では晏嬰の「二桃殺三士」という逸話が謳われています。

功のあった三人の武将を「後の憂い」になるから取り除かなければならない。その際、3人に2つの桃を褒美として渡し、取り合いになって3人とも死ぬこととなった・・この辺りに晏嬰の智謀が見て取れます。

晏嬰由来の言葉は数多くあり、彼の「牛首馬肉」という警句が後の「羊頭狗肉」になりました。
あと有名どころでは「晏子の御」「南橘北枳」「聖人も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり」など。

でも自分が好きなのは「為す者は常に成り、行く者は常に至る」ですね。私の座右の銘でもあります。もっとも人生はそれ程単純ではなく、「北行して楚に至る」という事も常に頭においていなければなりませんが。(*歩き続ければやがて目的地に辿り着く。但し方角を間違っていなければ。)

さて景公は凡庸な君主でありましたが、自分の能力を悟り晏嬰に絶大な信用を寄せていました。
晏嬰が危篤との知らせを受けた景公は馬車で急行しましたが、遅いので御者から鞭を取り上げ自ら御し、それでも遅いので最後には自分で走ってたどり着きました。

遺体にすがりつき号泣しいてる景公を臣下が諌めましたが「彼は日に三度も私を責めた。今は誰が私を責めようか」と泣き続けた。

この辺り君臣の関係を超えた愛情を感じますね。ここまでの強い絆と信頼関係があればこそ良い政が出来たとのだと思います。曹操が郭嘉死去の際に「哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」と大きく悔やんだという話と通じる所がありますね。

大業を成すには有能な人材を使いこなす必要がありますが、そこには相互の強い信頼関係が欠かせないのです。

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